オムニチュア第1回: アグレッシブなセールスを中心とする企業文化
Written byMarcus Otsuji
はじめに
日本企業はデジタル化の方法を模索し、シリコンバレーにその答えを求めている。日本のメディアや企業は、米国のテクノロジー市場、トレンド、および企業について調査し、大きく取り上げているが、その内容は外部から見える情報に限られる。もちろん、こういった情報も方向性や戦略を定めるためには重要ではあるが、日本の企業が本当にデジタル変革を実現しようとするならば、シリコンバレーの内部に目を向ける必要がある。
スタートアップのテクノロジー企業の運営および経営について深く掘り下げると、イノベーション、成長、および成功をもたらすためのメカニズムが見えてくる。シリコンバレーが生み出すのは製品や企業だけではない。プロセス、組織構造、経営に関するベストプラクティスを生み出していることに本当の価値があると言える。
2004年から2011年まで、私は米国ユタ州オレムに本社を置くオムニチュア社(Omniture)に在籍していた。同社はマーケティング テクノロジーのスタートアップ企業であり、私が入社した2004年には、グローバルで2千万ドル(約21億円)の収益を上げている。その当時のウェブ解析は、数多くのスタートアップが新規参入する非常に注目された分野で、オムニチュアはその中の1企業にすぎなかった。3年後の2007年、同社の収益は7倍の1億4千3百万ドル(約150億円)にまで拡大。最大の競合企業だったVisual Sciences社を買収し、ウェブ解析の分野で確固たる地位を築く。翌年の2008年には、前年比の倍にあたる3億ドル(約315億円)の収益を生み、2009年に有利な条件で現在のアドビ社に買収された。
私は日本支社のゼネラルマネージャーとして、オムニチュアでのキャリアをスタートさせた。当初、社員は私1人だけで収益はゼロであったが、7年後に退職する頃には社員数70人、3千万ドル(約31億円)の収益を上げる企業へと成長していた。オムニチュアでは、まったく新しいカテゴリの製品を市場に投入するなど、大変貴重な経験をさせてもらった。米国のテクノロジー企業が素晴らしい製品を開発し、激しい顧客争奪を経て、株主価値を高めていく過程を目の当たりにすることができたのだ。
【写真上】オムニチュア日本支社立ち上げ当時のメンバー (2005年)
【写真上】アドビ社に買収された後のチームパーティ (2010年)
「オムニチュア社の企業分析」では、スタートアップの運営および経営について、異なる側面から4回にわたって取り上げていく。これは、オムニチュアに限らず、当社(Geodesic)が支援しているポートフォリオの多くに共通したものである。
第1回: アグレッシブなセールスを中心とする企業文化
第2回: 経営企画とM&A: M&A を通じて加速させる収益の促進とテクノロジーの差別化 (準備中)
第3回: プロダクト マネジメント: 顧客に喜ばれる製品の計画的かつ継続的な開発 (準備中)
第4回: ソートリーダーシップ:ユニークな新ビジョンで市場を動かす(準備中)
スタートアップの運営および経営には興味深い側面が多数あるが、ここでは、日本では見落とされがちで、誤解されている分野の代表として、上記の4点に絞って説明する。前述した通り、新興のテクノロジー市場で競争に勝ち抜くには、製造、小売、金融などとは異なる戦略、組織、スピードで戦わなければならない。だからこそ、DX(デジタル トランスフォーメーション)を推進するに当たってシリコンバレーのスタートアップの技術だけでなく、経営そのものの研究が必要なのである。
しかしここで強調したいのは、日本の企業に、これらのベストプラクティスの取り入れを提案している訳ではないということである。「この記事の内容をどう活用するか」は、各個人や企業の考え方や置かれている状況次第だろう。しかし、日本の経営陣やDX関係者にとって、新たなデジタルビジネスの開発や設立にあたり、より深い理解を持って、建設的な意見交換をするための一助になることを願う。
アグレッシブなセールスを中心とする企業文化
オムニチュアでずば抜けて高年収だったのは、アカウント・エグゼクティブ(セールス担当)であった。売上トップの場合だと、100万ドル以上を稼ぐこともあったが、これはCEOを大幅に超える年収である。これだけを見てもオムニチュアは、年功序列で平等を重んずる典型的な日本企業とは大きな企業文化的な違いがあることがわかる。しかし、シリコンバレーではこのような企業文化が一般的なのだ。それはなぜか。
最先端のテクノロジー市場では、利益やネットワーク効果などの拡大(スケール)を目指して、スタートアップ企業の間で熾烈な争いが起こっている。急速な成長が強く求められているが、多くの人が、製品があるからこそ、セールスとスケールが可能だと考えている。
つまり「最高の製品を製造すれば、製品はよく売れる」
しかし実は逆もまた然りで、「製品を多く売れば、最高の製品になっていく」
この考えは正しい。なぜなら、セールスが好調で収益が上がれば投資が促進され、企業はより多くのエンジニアを雇用して開発に拍車をかけることができる。これはもちろん、独創的な製品ビジョンや素晴らしいエンジニアリング力によって差別化されたテクノロジーを生み出すことが前提となる。ただし、急速にイノベーションが進む現状では、製品や企業がいくら優れていても迅速に動くことができないと、あっという間に競争力を失う。
その中で有利なのが、より早い段階で販売を行い、収益を出せるスタートアップ企業だ。競合企業よりも早く資本を調達し、人材を雇用し、顧客の要求に応え、製品イノベーションを加速させている。それが、リーンスタートアップ経営方法論やアジャイル開発、DevOpsなどがテクノロジー企業に広く導入されている理由である。
完璧な製品を開発するまで販売を待つのでは遅すぎる。競争の激しい現状では、どんなに良いアイデアであっても、顧客から評価されなければ日の目を見ることはない。大企業の経営陣でさえも、収益の出ていない新規プロジェクトへの投資を続けるかどうか判断に苦慮している。これに追い打ちをかけているのが新型コロナウイルス(COVID19)で、数多くのプロジェクトにおいて、実際に投資が打ち切られている。ここから見えてくる教訓は、顧客が実際に製品を購入することが需要の有無を示す最大のバロメーターとなり、収益が上がれば、追加投資の妥当性が明確になるということだ。だからこそ、シリコンバレーのアグレシッブなセールス文化はイノベーションそのものを推進する重要な要素の一つになると言えるのである。
コインの表と裏(表裏一体)
製品のビジョンと売る覚悟: オムニチュアでは、セールス担当は常にベストであることを求められていた。ブランドの認知度は低く、製品は未完成で、その価値はまだ広く証明されていなかったが、大企業の取引先のエグゼクティブたちと壮大なビジョンについて語り、信頼を築かなくてはならなかった。また、意思決定者の特定、要件の洗い出し、PoCによる事前検証、予算の確保、契約の締結などの複雑なプロセスをリードする必要があった。
しかし、収益のすべてがセールスのおかげという訳ではない。新参であったが、製品のビジョンがユニークで、革新的な新機能を提供していため、アーリーアダプターの興味をかき立てる存在であった。ただ、実際は製品にバグが多く、情報がドキュメント化されていなかったことから、セールス担当は問題解決を求める顧客への対応に追われていた。もちろん製品のバグや欠陥については、「問題を解決して、もっと多くの製品を売る」というアプローチで対応すべきことは明白である。しかし、問題の中には真逆のアプローチが必要なものもあった。つまり、莫大なリソース投入が必要で、「もっと多くの製品を売らなければ、問題を修正できない」のである。先ほど述べたように、収益がなければ投資はできないため、製品を改善したければ、たとえ現状の製品が完全でなくても販売する必要があった。
1)製品のビジョン
2)現状の製品を売り続ける覚悟
この2点の組み合わせがそれを可能にし、イノベーションや成功につながる上昇スパイラルを生み出した。そして、次第に製品のビジョンが現実のものとなり、実際に最高の製品へと進化していった。売上げの良いセールス担当には十分な報酬を与え、そうでない者はすぐに解雇されるアグレッシブなセールスは、オムニチュアの戦略的な中核となった。それは昔も今も、シリコンバレー全体で共通している。
イベントと表彰
アグレッシブなセールスを中心とする企業文化は他にもある。セールスのプロフェッショナルはコミッションも高額だが、同じくらい自尊心が高く、賞賛、表彰されることを切望している。シリコンバレーのスタートアップ企業も彼らに報酬を支払うだけでなく、豪勢なイベントを開催して彼らを満足させているのだ。多くのシリコンバレーのB2Bスタートアップ企業が毎年開催している2つのイベントが、セールス キックオフ(SKO)とプレジデント・クラブ、通称「クラブ」である。
– セールス キックオフ(SKO): 年に一度、世界中のセールス部門が集まる集会。オムニチュアでは2009年度に約400~500名が招集された。営業年度の始めに2日間にわたって開催され、営業活動の評価、賞の授与、研修などが行われた。
– プレジデント クラブ: 成績優秀者のためのイベント。オムニチュアでは、前年度比120%を達成した者が対象となっていた。彼らは配偶者を伴い、高級リゾート地(ランカウイのフォーシーズンズ、ドバイのアル・マハ・デザートリゾート、リオデジャネイロのコパカバーナなど)に宿泊し、ミシュランの星付きレストランで料理を楽しむ。これらの費用はすべて会社負担となる。
【写真上】参考:Omniture Summit Tokyoの様子
企業にとっては、SKOやクラブのようなイベントは莫大な出費である。日本の企業からすると、おそらく行き過ぎで不公平に思えるだろう。だがこれは、招待されなかったセールス チームの翌年の参加に向けたモチベ―ションにつながるのだ。クラブへ招待されることは、会計年度末には取引を締結させる原動力となり、多数の新規セールスにつながる。さらに、軽く100%を超えるネットリテンション率によって、各顧客が当初の契約の何倍にも成長するので、これらを考えると、クラブへの投資は十分に回収されたと言える。
まとめ
ここに記載の内容は、シリコンバレーにおけるセールスのベストプラクティスをすべてを網羅したものではない。セールスに関するトピックは多岐にわたり、詳細な分析や説明をしようとすれば切りがなくなる。CRO (Chief Revenue Officer/営業担当役員)の役割、パイプライン、アカウントプランニング、Value-Based Selling(価値を伝える販売手法)、ネームドアカウント(主要アカウント)、テリトリーなど、取り上げなかった項目はたくさんある。ここで焦点を当てたのは下記の2点だ。
1) スタートアップの初期段階およびライフサイクル全体を通した、イノベーションの主な推進力となるセールスの重要性
2)優秀なセールスを惹きつけ、モチベーションを高めるために、シリコンバレーの企業は多額の報酬や豪勢なイベントを用意するなど、(日本企業から見てやり過ぎなくらい)かなりの力を入れて取り組んでいる
スタートアップにとって収益は宇宙船の燃料のようなもので、ロケットを打ち上げて軌道に乗せるまでに多額の収益が必要となる。シリコンバレーで目覚ましい成長を遂げている企業は、その中核に大変素晴らしい、時に革命的ともいえるアイデアを持っている。これを優秀なエンジニアが開発して製品が出来上がり、顧客に購入してもらうことで収益を出し、投資家が資金を投入することでそのアイデアの有効性が実証される。これらはいずれも、新しい企業が成功するための重要な要素でもある。イノベーションの先にセールスがあると思いがちだが、実際はセールスこそがイノベーションの推進力にもなっているわけだ。これを理解しておくことが、どんな新たなテクノロジーをも成功に導く鍵となる。
日本企業へ置き換えて考えてみよう
– セールスおよび製品開発は、1つの戦略として一緒に運営されなければならない。そして、リーンスタートアップマネジメントの手法に慣れておく必要がある。
– GTM(Go-To-Market)プランを見直す。製品開発戦略と同じくらいの熱量でセールス戦略の策定を行う。シリコンバレーほど極端な方法を取るのは難しいかもしれないが、以下の3つの点について考えて欲しい。
1) 最も優秀な成績を収めている営業担当者と優秀な営業管理職は誰か。彼らがアグレッシブに営業活動を行うためのツールやリソースは提供されているか。適切かつ積極的に、彼らの取引締結に向けたモチベーションを高めることができているか。
2) どのセールスKPIを追跡するべきか (ACV(年間契約額)、TCV(総契約額)、チャーン(解約)、ネットリテンション、グロスリテンション、パイプライン範囲、マジックナンバー(販売効率指標)、CAC(顧客獲得単価)など)。
3) 新製品を開発してから販売を開始するまでに時間をかけすぎていないか。