M&Aに進路をとれ:業績トリプル10xの現場で学んだこと
Written byShiro Watanabe
今年に入って生じた石油価格の高騰、ナフサ供給の目詰まり、特定国による関税政策の極端な変更や希少資源の輸出制限――。業種・規模を問わず、あらゆる企業がジオポリティクスの直接的な影響を受けることは、もはや当たり前になっている。加えて、AIへの取り組みを検討している間にもエージェントによる自律処理が登場し、とりわけコスト構造を左右するファクターが次々と浮上している。こうした激しい環境変化に対応するため、普段の企業価値の向上(殆どの場合、規模の拡大を伴う)が一層強化される必要があるのは論を待たないであろう。今回は、こうした急激な変化への対応策として、オーガニックな成長ではなく、ドラマチックな成長戦略の一つであるM&Aを取り上げてみたい。
自分がこれまでに前職で関わった10年程に及ぶ一連のM&Aを振り返ると、実は、期待通りの成果を出せなかったケースのほうが、成功と言えるケースより多い。だからこそ、ベンチャー投資のようにポートフォリオを組む発想が必要だと考えている。投資規模もまちまちで、案件ごとに机上で上限を見積もることはできても、それらを一律にそろえるのは難しい。どの企業にも、「ここがロードスだ、ここで跳べ」過去の実績でも、未来の構想でもない。問われているのは、今ここで何を実現できるかだ。と決断を迫られる時が訪れる。それが急速な成長の途上であれ、先行きの不透明感が増す後退の局面であれ。
本稿は、私がかつて籍を置いた企業がなぜ一連のM&Aに踏み切ったのかを振り返った個人的な経験談とそこでの気づきを集めたものであり、新しい理論や教訓を提供するものではない。それゆえ特にM&A経験者には、既知の内容が多いかもしれない。だが、この経験談からなにか読者の皆様のビジネスのヒントになるものがあれば幸いである。
M&A:目撃
今は昔の感があるが、80〜90年代は毎年数十社の半導体ベンチャーが誕生する時代だった。
私はこの時代、マクニカという半導体商社でサプライヤー・ソーシングの責任者を務めていた。サプライヤーは基本的に半導体ベンチャーで、契約に至れば、事業部門が日本での市場開拓(今の言葉でいえばGTM)を担っていく。90年代半ばに契約に至ったサプライヤーの一つにBroadcomがあった。
当時のBroadcomは、ケーブルテレビ向けセットトップボックス(STB)用チューナーICを主力製品とするベンチャー企業だった。STB市場は、メーカー自体が日本でも数社しか存在しない非常にニッチな市場であり、Broadcomもその限られた市場をターゲットとする半導体サプライヤーの一社に過ぎなかった。
ところが同社は、1999年から2012年にかけて9社もの企業を買収するなど積極的なM&Aを繰り返し、ネットワークスイッチ、Wi-Fi、光通信向けICを手がけるベンチャー企業を次々と取り込みながら、総合半導体メーカーへと成長していった。その間に、売上高も5億ドルから80億ドルへと拡大した。
さらに、そのBroadcom自身が2015年、当時は技術力よりもM&Aによる経営手腕で知られていたAvago Technologies(HPの半導体部門を源流とする1社)に、半導体業界史上最大規模の金額で買収された。その後、Avagoは社名をBroadcomに変更し、CA Technologies、Symantecのエンタープライズセキュリティ事業、そしてVMwareといった、どちらかといえば企業の基幹システムを支えるソフトウェア企業を相次いで買収した。現在では、メモリ専業メーカーを除けば世界有数の半導体企業へと成長している。
このように、自社の事業領域をM&Aによって大胆に拡張し続ける経営スタイルは、事業ドメインを再定義し、非中核事業や子会社を売却して「選択と集中」を進めていた当時の多くの日本企業とは対照的であり、私に非常に新鮮な印象を与えた。そうした米国企業の姿を間近で見ていたため、M&Aそのものは決して珍しいものではなかった。しかし当時の私にとっては、あくまで経営資源が潤沢な企業の話であり、自分たちが主体となって取り組めるような活動ではないという感覚だった。
M&Aを戦略として
2000年のITバブル崩壊後、日本の通信機器メーカーやPCメーカーの成長が鈍化し始めていた。
携帯電話市場が普及期に入るなか、日本メーカーは従来のアナログ方式と新たに広がるデジタル方式の両方に対応する必要があった。これに対し、海外メーカーは当初からデジタル方式に集中できたため、身軽な開発体制を武器に競争力を急速に高め、日本メーカーは苦戦した。PCもアーキテクチャーの統一によって競争が製造能力中心となり、日本メーカーの開発力を活かす余地は縮小していった。テレビ市場でも同様に、ブラウン管から液晶への移行が進むなか、日本メーカーは出遅れた。当時は液晶でブラウン管やプラズマ並みの画質を実現するのは難しいとされたが、一般視聴者には差がほとんど意識されず、市場は急速に液晶へ移っていった。
マクニカでは、自動車分野を次の戦略市場と位置付け、営業リソースを重点的に投入していたものの、本格的な収益化にはまだ時間が必要だった。
一方、2000年代前半までに、北米の大手半導体商社はアジア各国で同業他社の買収をほぼ終えており、日本の商社も次の買収対象として見られるようになっていた。マクニカにも、海外企業(米国、台湾、カナダ)から何度も買収や資本提携の打診があった。
私たちが、成長のドライバーが不明確になりつつあった日本の半導体市場の将来に、強い危機感を抱いていた一方で日本メーカー(顧客)は、安い人件費を求めて次々と海外へ生産拠点を移し、半導体の調達も現地工場やEMSへ移管され始めていた。そのため各国に営業拠点を設置してはいたが、それはあくまで日本企業の海外生産を支援する延長線上のビジネスであり、本来の意味で海外市場に進出したとは言えなかった。私たちが目指していたのは、成長著しい海外顧客との直接取引であり、そのためには各国の有力半導体商社を買収することが最も近道だと考えていたが、当時社内にはその経験もノウハウも全くなかった。
最初のM&A案件:時、熟せず
そんな折、ヨーロッパの同業者から協業の提案が舞い込み、その企業の買収を本格的に検討することになり、最終交渉には社長にも同行してもらった。先方では、ヨーロッパでM&Aを繰り返し、最後に米国の同業者へ売却して巨大な財をなしたオーナーが交渉を仕切っていたが、彼は、当方とともに企業価値を高めるという将来の成長ストーリーには大した興味を示さず、話はもっぱら買収価格のみに集中した。8時間以上に及ぶマラソン交渉の結果、企業価値(買収価格)で折り合うことができず、当方の社長がその場で断念を決断した。
振り返れば、この判断は正しく、その企業はその後、業績が悪化していった。もし、当時買収に突き進んで行っていたら、経営再建に多大な時間と追加投資を要し、その後の連続的なM&A戦略を進める気力を失い、当方の海外展開は大きく遅れていただろう。M&Aでは、「買うこと」よりも「買わない」という判断のほうが重要な場合もあり、そこには勇気もいる。その最初の案件で、私はそのことを身をもって学ぶことになった。
香港での一日:萌え出るドラゴン
アジアでの本格的な第一号M&Aは、2008年10月に香港で実行した。その前の2年間は台湾、中国、シンガポールの同業者と面談を重ねていたが、最終的に、香港に本社を置く同業者の買収で合意できた。
ここに至るまでに、様々な企業に出会った。面談のたびに過去の業績数字が微妙に変化する(数字管理がルーズな)企業、技術リソースが貧弱で当方の期待レベルを理解できないにもかかわらず「技術サポートはアジア一」と過大に自己評価する企業、株主構成が複雑で合意形成に時間がかかりそうな企業など、ヨーロッパ・アジアで40社以上と面談を重ね、情報を集めていた。基本条件は、当方と主要な取り扱いサプライヤーが共通することだったので、可能な限りICサプライヤーにも、それぞれの企業の評価を聞いて回った。
香港の企業との交渉の出だしは大変順調だった。出会いは、中国からの帰途、香港での乗り継ぎに丸1日の時間があり、現地メンバーにアポを取ってもらってその社長を訪問したことだった。彼は、中国の主要な通信機器メーカー、すなわち彼らの顧客の動向、それぞれの強み、顧客との人脈、今後の展望をホワイトボードに書き出してくれた。それが実に印象深かった――というより、感動させられたのである。こちらが売り込みに行ったのに、逆に売り込まれた格好だった。米国の主要サプライヤーとの四半期レビューを彼自身が担当しており、事前の準備がなくても澱みなく説明できる状況だったのだと思う。取り扱い商品のカテゴリー、特徴、営業パイプラインの分析手法・用語も当方と共通していたため、話は非常に理解しやすかった。
この企業のM&Aを事例として、当方が重視したポイントをあげてみる。
- 経営者のビジネスへの理解度と人柄:M&A交渉の初期段階では、機密保持の観点から、経営者か実質的なオーナーとしか話ができない。そのため経営者がビジネスの状況を把握できていない(担当者に確認しないとわからない)ケースでは、話を先に進めるのが難しい。ターゲット企業の社長の人柄や、事業への信念・情熱も重要である。売却を自らのキャリアのイグジットと考え、価格にしか関心のない経営者は対象から除外した。買収後に幹部チームを現地で新たに組成するのは、顧客やサプライヤーの信頼を失うリスクが高く、選択肢になり得ない。また、当方が送り込んだ日本人が現地従業員をマネジメントするのは難しい、と考えていたからでもある。
- 経営者との直接交渉:経営者のビジネス信条も重視した。従業員との「相互信頼」を築く努力と事業への「情熱」は、資質として今でも重要だと考えている。情熱は過信につながりやすく、伝わってくるかどうかは直感的な問題である。そのため、客観性と専門性が要求される財務・税務DD(デューデリジェンス)、法務DDは別として、どの交渉もM&Aコンサルタントを入れず我々自身が行なった。交渉は通常英語で行なってきたが、中には英語が得意でない人も多く、必要に応じて現地子会社の責任者に通訳に入ってもらった。この過程は先方との信頼関係を醸成する期間でもあり、流暢である必要はないが、M&Aのように短期間で信頼関係を築くべき場合には、経営者同士が直接語り合うことが欠かせない。また、英語で意思疎通できない経営者が海外展開をリードするのは難しい。ただ、これは外部のM&Aコンサルティングサービスを否定するものではない。
- オフィス環境:案内されたオフィスが清潔でよく整理されているかも重視した。机にインボイスや見積書のコピーが積み上がっている環境は、情報を整理できていない表れとして大きなマイナス評価になった。瑣末(さまつ)な違いのようだが、文化や習慣は短期間で変えられず、重要だと思っている。
リーマンの激震
その後の展開だが、当方の杓子定規な対応――先方の質問に社内コンセンサスをとりながら(多くは会議を開いて)回答する――は、日本企業にありがちなスロー・ディシジョンの典型と見なされ、交渉は破談寸前まで追い込まれた。だがこうした課題を現地でトコトン話し合って解決し、最初の出会いからほぼ12ヶ月で買収を実行できた。
最終段階では社内には反対する意見も多かった。大きな要因は2008年というタイミングで、当時、当方の業績は下降傾向にあった上、9月のリーマンショックで世界市場は大混乱に陥っていた。マネジメントの一部が及び腰になったのも無理はない。だが契約は署名済みで、中止・延期は困難だと押し切った。違約金を払えば中止も可能だったが、その選択はしなかった。
今振り返ると、このリーマンショックの影響からマクニカが早期に脱することができた要因の一つは、この香港のM&Aだったと言ってもよいと思う。中国の半導体市場が、中国政府の迅速なテコ入れもあって、短期間にV字回復したからである。一方、日本では、半導体の大手ユーザー、すなわち当方の主要顧客の一部が、非常に深刻な業績不振に陥っていった。何社かは創業以来初めて、あるいは過去最大の最終赤字に陥っていた。こうした事態を見越してM&Aを実行したわけではなく、偶然とも言えるが、何も手を打っていなければ、その偶然もなかったのである。
この香港でのM&A後、各国でM&Aと子会社設立を通じて、海外事業を拡大していった。以下のリストは、2018年までの進出先国である。
- シンガポール
- インド
- ベトナム
- ドイツ
- 台湾
- 米国
- ブラジル
- イギリス
- フランス
- および日本(海外進出ではないが、大手中心だった当方のSMB事業を補完するチャネルとしてのM&A)
*現在はこれ以外の地域にも進出している。
個別には想定した業績を上げられず、大きな課題を抱えたところもあったが、順調に進んだ国での成長規模が大きく、総じて当方の事業拡大に大きく貢献してくれたと言っていい。
その後の成長の連鎖
マクニカは、’81年に「10年後は売上10倍」という目標を立てており、それを達成した’91年には、再び「10年後は売上10倍」の目標を立てて達成した。目標を立てた経営者以外は私も含め半信半疑だったにもかかわらず、である。2000年にはIPOを果たすことになった。これ以後は上場企業として、トップラインの成長だけではなく、事業内容と最終利益が重要だということで、様々な施策を打っていった。
2026年で、マクニカがM&Aを本格的に開始してから18年が経過したことになるが、売上はおおよそ10倍、純利益に至っては30倍(2009年度と今年7月に発表された2026年度の業績予想の比較)になっており、半導体商社の世界ランキングでも4位にランクされ、日本では圧倒的な1位を走っている。この間、日本の半導体市場規模はドルベースでほぼ変化がない(世界の半導体市場は規模は3倍に拡大)ことを考えると、注目に値する。こうした直近18年間の事業拡大には、この海外市場進出のためのM&Aが少なからず寄与しており、現在、海外の売上比率は約55%(2025年度の有報より算出)。もちろん、成長の要因はそれだけではなく、サプライヤーによるチャネル政策の見直し(多くは代理店数を減らす絞り込みを伴う)や、顧客の移管=取引口座が移管されるケースもあったのではないだろうか。様々なプラスの連鎖があり、しかも、そのような連鎖は加速していく。
80年代の半導体市場はゲーム機とPC、90年代はPC、ネットワーク機器、携帯電話、2000年代はクラウドや携帯電話、デジタル家電が成長を牽引した。こうした分野向けICを供給するベンチャーは、2000年のITバブル崩壊まで主にシリコンバレーで次々に生まれ、日本はその重要市場だった。だが2000年代に入ると、日本メーカーはアジア勢に追いつかれ、やがて追い越された。半導体の高集積化で開発費も膨らみ、半導体ベンチャーは姿を消し、ベンチャーを追って代理権を獲得して成長する半導体商社のモデルも過去のものとなった。
さらに米国の半導体サプライヤーでは、東京の営業トップが米国本社ではなく香港やシンガポールの支店に報告する例も珍しくなくなり、日本の地位低下が鮮明になった。マクニカはこうした変化に海外M&Aで対応してきた。いま時代を動かすのはAIである。同社が大きな戦略転換を行うのか知る立場にないが、現状維持だけは彼らの選択肢にないはずである。次の10年に注目したい。
むすび:日本の難題
今夏、今年前半の世界のM&Aの総額が、この5年間で最高になったと報じられた。一方で、EVの出荷台数で世界1位となったBYDは、日本市場独自の規格である「軽自動車」のEVをわずか2年で開発し、今年7月に発売した。日本の競合メーカーのEVが、BYDのそれに比べて3倍以上の補助金の対象になっているにもかかわらず、BYDの攻勢は緩みそうにない。自動車は日本の550万人以上の雇用を支える基幹産業である。かつて90年代に日本の半導体メーカーに起きたこと、2000年以降に携帯電話やデジタル家電で起きた事態が、自動車では繰り返されないことを願いたい。
私が前職で関わった一連のM&A=グローバル展開は、米国の同業者から見れば規模も小さかったし、受け身の対応だったかもしれない。ただ、そのままレッセフェール(なすがままに自由放任)を決め込んでいたら、成長の機会は永遠に逃していたかもしれないと思う。
現場で学んだこと
この記事では触れることができなかったが、M&Aを進めるにあたって重要だと感じたことを、以下にリストしておきたい。
- M&Aを実行する側のトップ自らの直接的な関与と、経営幹部の理解・支持。また、経営者の任期は長いほど、M&Aは進めやすいと思う。
- 数字(トップライン)だけをゴールにしない。大切なのは、事業にかける未来への「夢」を相手と共有することである。香港のディールで先方に何を大事にしていくのか話し合った際、Empathy(共感)で合意できたことを思い出す。もちろん、企業価値が1+1=2ではなく、3以上になるシナジーが期待できなければ、当事者双方にとってやる価値がないのだが。
- 買収はゴールではなく、スタートにすぎない。成否を最終的に決めるのは、買収後の統合、すなわちPMIだと思う。「100日プラン」等のPMI計画は、投資実行前に双方で合意しておく必要がある。
- 特に相手が上場企業でない場合は、PMIに着手する前に、経営上必須のコンプライアンス項目をまず確認し、相手にもきちんと理解してもらう(M&Aした側が重大なコンプライアンス違反をしていたという笑えない話もある)。
- 相手は「支配して指導する対象」ではなく、対等なビジネスパートナーである。互いに納得できる戦略を、共に練り上げていく。もちろん、そうではない支配型の買収もあり、成功事例も知っているが、私が直接体験したことではない。個人的には、征服・支配するタイプのM&Aに、ワクワクするような期待は持てない。
マクニカでM&A戦略を現場で支えた創業社長が、自身の経営理念や経営戦略、成長の軌跡を『経営の本質』というタイトルの書籍として発表している。興味のある方は、そちらも参照していただきたい。本稿では全く触れていない内部体制の話や、M&Aを開始する以前の歴史が、詳しく紹介されている。
注:本稿は私の個人的な見解であり、現在のマクニカ社の立場や見解を反映したものではありません。過去のM&Aについても、同社は異なる評価をしている可能性があります。あらかじめご了承ください。